告別式

今日は仕事を休んで大師匠の告別式に参列しました。

師匠は背中をいつものようにぴんと張っていました。そんないつもと変わらない姿を見るとよけい胸がつまりました。
人が亡くなるのは悲しいです。なんとなく自分たちが置いていかれたように感じられるときもある。

本田美奈子.さんの特集も少し見ることができました。音楽に生きる姿にとても考えさせられました。音楽が好きだということを素直に伝えられるのは本当にすごいことだと思います。プロは時としてそれがとても難しくなってしまうように思うので。



第九練習から戻ると学校から書類が届いていました。
留年か単位取得退学か休学かを選択しなくてはならないようです。
修論とは違って時間がかかります。あと二年くらいでどうにかしたいものです。

第九

趣味で合唱をやっています。
もうすぐサントリーで本番があります。今日は本番のコンダクターとの初のあわせでした。
ものすごく暖かく余裕もユーモアもあるすばらしい方でした。合唱を歌うほかの人はとてもうまい人たちばかり。なおかつ第九は何度も歌っているので真剣ながらも余裕のある歌を歌っています。
それに比べてこちらは初第九。ついていくのに必死です。自分の「ノリ」が足りない気がする。その理由は自分の第九への捉えにあるのかもしれない。


「第九はつまらない曲」という思いが小さい頃からありました。
といっても小さい頃なのでなぜそう思ったのかは定かではないのです。
小学校低学年のときから親にN響の第九に強引につれていかれて、毎年第一楽章のはじめから爆睡していました。絶対に名演であったはずですが、心を動かされるまもなく寝ていたからすばらしさに気づかなかったのでしょう。帰り際、兄は「やっぱり第九は最高!!」という感じで喜んでいたらしい。
爆酔している自分を見て親はまさか音楽の道に進むなんて思わなかったでしょう。逆に音楽的感性が欠如しているとても思っていたのかもしれません。


人生わからないものです。
今考えるとあのすさまじい音楽の中、ずっと寝続けることはある意味すごいことなのかもしれません。

そんなこともあって、「第九にうかれるようなミーハーな人間にだけはなりたくない!」と思って生きてきましたが年貢の納め時で今年ついに歌うことになったのです。


・・・とってもいい曲ですね。


歌ってみると、やはりちょっと疑問が残る部分はあります。しかし「器楽的な声楽曲」と思って受け入れることができるならばなんてことはないのかもしれません。


いま難しいと思うのは、歓喜の歌を歌うと家元のことがふと思いだされるのです。それが苦痛で仕方がありません。

今年はサントリーの第九に親も兄夫婦が聴きに来ます。明日までに完璧にして本番に臨みたいと思います。

家元

趣味で筝をやっています。
数年前から中学校で日本音楽の学習が必修となりました。3年間のうちに必ずひとつの楽器を体験することになっているのです。そういう流れもあり、習いに行って3年弱になります。
100%趣味で音楽をやることはとても楽しいです。


楽しみながら通っていた筝ですが、昨日師匠のお母さんである家元がお亡くなりになりました。家元のお元気なころのお姿が新聞に掲載されていましたが、もう会えないのかと思うととても悲しいです。
先週の稽古では師匠がとても悲しそうな音を出していたので非常に気になって別のお弟子さんにおかしいことを伝えたのですが、まさか現実になるとは思いませんでした。


練習不足で稽古に行っていたことを反省して来年からはもっと練習をがんばりたいと思います。

FNSドキュメンタリー大賞

FNSドキュメンタリー大賞「僕らが見つけた音と光〜盲学校のアンサンブル〜」をみました。音楽指導のありかたについていろいろ考えさせられました。

一番の印象は読売日響の先生がとても暖かく感じられたことでしょうか。


子供の能力を発揮する過程がもっと楽しくてもいいのかなと思うことがたびたびある。
とくに部活動においてです。かかわりのある中学のバレー部の先生なんて生徒を泣かせることは日常茶飯事らしい。(しかしバレー部の生徒にも人気のある先生らしい)


泣くまでやらなければ得られないものがあるのでしょうか。


番組からは音を楽しむと言うよりは追求することに撮影の主眼がおかれており、コンクールにむけた音楽を作っているかのようでした。

金賞校の生徒は一生音楽とかかわって他の人にも音楽の面白さを伝えていってほしいと思うけれど、多くの場合「過去の栄光」となることが多い。
金賞をとった彼らはこのコンテストの後音楽を楽しんでいくのだろうか。
画面を見ていると彼らは金賞をとることで音楽をやり遂げたかのように思えてならない。
あの子供たちはとても素直で魅力のある人たちなので他の人にも音楽の楽しさを伝えることができる人であるからこれからの彼らの音楽生活に期待したい。


部活動では一生音楽を楽しんでいく人材を育ててほしいと望みます。


それはそうとコンクールで演奏中にナレーションを入れたりしないでほしかった。音楽にかかわるドキュメンタリーとしてどうなんでしょうか。

みなぎる活力

モーツァルトの話題で今年は年を越そうと思いましたがなかなかに難しい。

今日はレッスンの後声楽の伴奏合わせでした。
ブラームスのツィゴイナーなど10曲ほど。
久しぶりに発散しました。
おとといも子供たち100人を前に演奏しましたが、今日はなんだか体がうずうずして着て楽しく充実した時間を持つことができました。
次回合わせはウィーンから帰ってきた二日後。
ちゃんとできるようにしようと思います。

家についてからもピアノへの欲求は尽きませんでした。
明日もこのくらい活力があるかはわからないのが残念。

12月5日はモーツァルトの命日

リングのやり方がわからない・・・。うーん。

渡欧は10日後に迫ってきました。命日を二日も過ぎたので(?)モーツァルトをそろそろ仕上げたい。しかし、2楽章の暗譜が一向にすすみません。
今週は忙しいので来週のがんばりに期待。

モーツァルト「ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K.454」5

久しぶりのレッスン。現代音楽を専門にされている先生に3年前から師事しているのですが、メシアン−ベルク−プーランクドビュッシー−リストとどんどん逆行しています。
今日はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ3楽章をみて頂きました。

チェンバロを意識した速めの楽章の場合、f−pを明確に演奏すること」と解説に書いてあるのでそれに従うべきか迷っていました。書かれていないとしても現代のピアノで弾く意味を考えてやるならば、やはりもう少し中庸な部分もあってこそ強音弱音がいきると言うもの。なので、mpやmfも取り入れて演奏することに決定しました。

本当は忠実に従うべきかも知れない。しかし聴いていただいていくつかの書物を参考にしながら話をきいてもらったのでちょっとすっきりです。